1. ホーム
  2. 歴史
  3. 移民と和歌山 2:アメリカ移民―サンペドロの漁師たち

移民と和歌山 2:アメリカ移民―サンペドロの漁師たち

19世紀末から20世紀の始め、日本からカリフォルニアへの渡航者が次第に増えていったのは、開拓の途上にある同地の労働力を補うため、移民が歓迎されたからでした。彼らは農業、鉄道、鉱山労働、漁業、商工業等に従事しましたが、『在米日本人史』(1940)によれば、修学を目的とした学生の他に、何事か成さんと志を懐いて渡米したパイオニア達の多くが、学僕的家庭内労働、いわゆるスクールボーイと呼ばれる住み込みで家事手伝いをしながら学校に通う者、農園で働くもの、あるいは小規模の雑貨店やその他の商店を開くなどしていました。*
和歌山県の紀南地方は、多くの人々がカリフォルニアに渡った地域として知られています。特に紀伊半島沿海地方の漁村から渡航した人々は、1900年代初頭からロサンゼルス港の一角のターミナルアイランド(あるいは東サンペドロ)と呼ばれる島に集住します。そのコミュニティは、1930年代には約3000人規模となり、大半が和歌山県出身者でした。彼らは日本生まれの一世とアメリカ生まれの二世で、男性は漁師として、女性は缶詰工場で働きながら、島の缶詰工場が所有する借家に暮らしました。魚を満載した船が帰港すると、女たちは夜中でも工場に駆けつけたといいます。1920年代にカリフォルニアで水揚げされるビンナガマグロのほとんどは、日系人漁師が捕獲したものだと言われるほど、同地の漁業において大きな位置を占めていました。
1920年(大正2) 、ターミナル島周辺の日系人は、サンピドロ日本人会を結成しました。これは出身の村ごとに作られた郷村会で、最大であったのは太地人会でした。また現・串本町の和深、田並、田原、現・那智勝浦町の宇久井、現・志摩市の片田(三重県)の郷村会も、多人数を誇るものとなりました。
ターミナル島は、いわば外界から孤立した「日本人村」であったため、桃の節句や正月などの日本の文化が守られることになります。武道や相撲大会なども行われる一方で、若者たちはベースボールも楽しみ、また島には神社も教会もあり、クリスマスも祝いました。レストラン、玉突き場、雑貨店、歯科医院、これらすべてを日本人が経営する地域でした。
アメリカで生まれた二世の子どもたちの多くは、日本での教育を受けるため、学齢期になると日本に一時帰国しました。祖父母のもとから地元の小学校や中学校に通った後、修学を終えると、再びアメリカに渡る、つまり「帰米」することになりました。またターミナル島には公立のイースト・サンピードロ小学校(1919年設立)があり、その生徒の大部分は日系の二世でした。同小学校のワリザー校長は、1924年に「排日移民法」が成立して日本人の移民が禁止され、排日運動が強まるなかでも、ターミナル島の日本人組織と協力して、日本の伝統や文化を尊重しながらアメリカ市民を育成するための教育活動「アメリカ化」を進めていきます。1930(昭和5)年2月26日、ワリザー校長は子どもたちに見送られながら日本へと出発し、太地、勝浦、田原、田並、千穂小学校を含む20校以上の学校を訪問しています。これは父兄会が、日米親善を願うとともに、ワリザー校長の功労に感謝して費用を負担したものでした。
このようなターミナル島の生活も、第二次世界大戦の勃発とともに一変します。1941(昭和16)年、ハワイのパールハーバーが攻撃されたその日のうちに、ターミナル島の日本人会の幹部など、日系一世の男性指導者たちがFBIに連行されることになります。その後の1942(昭和17)年2月26日、島に残った二世や女性全員にも、立ち退き命令が下されました。
ターミナル島の多くの人々はマンザナー収容所に移されます。人々はそれまでに築きあげたほとんどすべてのものを失いましたが、収容所の不自由な生活の中でさえも、さまざまな活動を行い、日用品や工芸品など数々のものを生み出しました。両親が和歌山県出身でターミナル島生まれのヒノキ・ミノル氏はマンザナー収容所内で、ターミナル島の漁師の誇りや意気込みを『タミナル汚れの唄』に作詞しました。ターミナル島生まれの二世の若者たちはYOGORES (ヨゴレーズ)というロゴを胸に、記念写真を撮影しています。
現在、ターミナルアイランドに当時のコミュニティは存在しません。すべて第二次世界大戦時に一掃されてしまったからです。その地には漁師の記念碑と石の烏居が建造され、当時の人々の生活の様子が語り継がれています。

 

註:在米日本人会事蹟保存部(編)『在米日本人史』在米日本人会、1940年、p.46。

本稿は『移民と和歌山 先人の軌跡をたどって』(和歌山大学紀州経済史文化史研究所 特別展図録、2014年)を編集・加筆したものです。

 

関連資料:「イートウェル・カリフォルニア・マカレル」(ロサンゼルス港ターミナル島で製造された缶詰)

Photo: Joseph Ferrero