和歌山市立博物館
640-8222
和歌山県和歌山市湊本町3丁目2番地
1985年開館
和歌山市立博物館は、郷土和歌山の歴史・文化遺産に関する市民の理解と認識を深め、教育・文化の発展に寄与することを目的とした歴史系博物館である。常設展示では、多数の資料に基づき和歌山市の歴史を伝え、加えて特別展・企画展を年数回行い、テーマ性のある展覧会を開催している。市内出身者の顕彰にもつとめており、和歌山市からアメリカへ移り、第二次大戦中の日系人収容所の様子を描き続けたヘンリー杉本(1900-90)もたびたび展示等で取り上げている。
ヘンリー杉本コレクション
和歌山市立博物館では、和歌山市出身の画家・ヘンリー杉本(1900~90)による北米日系人収容所を描いた絵画作品(油彩画36点・水彩画18点)を収蔵している。
現在の和歌山市湊に生まれたヘンリー杉本(杉本謙)は、和歌山中学(現和歌山県立桐蔭高校)4年修業後の1919年、両親に呼び寄せられ、アメリカはカリフォルニア州ハンフォードで暮らしはじめる。アメリカでのヘンリーは、働きながら勉強をし、絵画を学び、やがて画家として頭角をあらわし始める。1941年、太平洋戦争が勃発し、ヘンリーを含めたアメリカ西海岸に住む11万人もの日系人は、敵性外国人とみなされ、アメリカ国内に数か所設置された収容所へと強制的に収容された。日系人たちは最低限の荷物だけを持って収容所へと向かった。1942年、ヘンリーやその家族は、まずフレスノ集合所へ集められ、そこからアーカンソー州のジェローム収容所へと移っていった。1944年にはローワー収容所へと移転している。収容所へ収監された当初、ヘンリーは持ち込んだわずかばかりの画材を使って、収容所の様子をシーツなどに描いていたという。その後収容所内に建てられた学校の美術教師になったヘンリーは、更に精力的に収容所内での芸術活動に勤しんだ。収容所内を描いたヘンリーの作品は注目を集め、収容所にいたころから、戦後にそこを出たあとも、たびたび収容所での出来事を描いた作品を展示している。
ヘンリーの一連の作品は、第二次大戦中の日系人への強制収容に対しアメリカ政府が補償を行っていくなかで、その実態を証言するものとしても取り上げられた。1981年、「戦時市民転住・収容に関する委員会」公聴会で、ヘンリーは自らの作品をもって強制収容について証言した。こうした働きかけもあり、1988年にはアメリカで日系人への強制収容補償法が成立し、翌年から補償金の支払いが始まった。
日本では、1980年にヘンリーの収容所絵画の展覧会が行なわれた。展覧会は、和歌山・大阪・広島・東京と巡回した。その際、和歌山市民図書館にほとんどの作品が寄贈された。本コレクションはその時の作品群で、当時は和歌山市民図書館に寄贈されていたが、施設移転に伴い、現在は和歌山市立博物館で管理をしている。また、収容所絵画とは別に、収容所内で他の収容者によって作られ、ヘンリーが所蔵していた木彫りや貝殻製のアート作品などが博物館へ寄贈されている。和歌山市では、こうしたヘンリーの功績をたたえ、2007年に市の偉人・先人として顕彰している。
ヘンリーは、収容所を出た後も、移民史や収容所での出来事について描き続けているが、当館所蔵の収容所絵画は、収容所内での出来事を淡々と描いているように見受けられる。同じ日系人でも、各々の育った環境や世代などによってアメリカ/日本に対する捉え方も異なっている。そうした人々の間で巻き起こる数々の衝突ややり場のない思いを、収容所の中にいるという緊張感とともに、淡々と、しかし深い洞察力で描いており、「ドキュメンタリー絵画」などと評されるにふさわしい作品群であるといえよう。